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2008/04/29 ノウサギ ライフログ
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2009年 04月 30日
長男の入学、長女の入園が重なり、変化した生活のペースがつかめず、blog を書く時間も取れないままに4月が終わろうとしています。森の中では3年前に blog を書き始めた頃にはじめて出会ったキンランの花が、今年も同じように咲いています。あの頃の blog を今、あらためて読み返してみると、静かな期待に満ちた、とても新鮮な気持ちでここでの生活をスタートしたことが思い出され、懐かしい気持ちになりました。
3年前に浜松の街中からここに引っ越してくるとき、都市生活に足りないものは「季節感」という言葉を使って表現していましたが、今ならもう少し違った言葉になるだろうと思います。まだうまくは表現できませんが、「生命感」という言葉にでもなるのでしょうか? 森を見つめながらの生活は、生命はどのように成り立っているのか、生きているということはどういうことか、生命は死んでしまうとどこへ行くのか、などといったことを、日常的に、感覚的に捉えさせてくれます。家の周りに生えているフキノトウ、ヨモギ、タラの芽などを口にしているうちに、「食べる」ということについてもより深く考えるきっかけをもらいました。食べものはすべて自然からの贈り物。スーパーで売っているものをお金と引き換えに買って食べる現代の普通の生活では忘れてしまいそうなこの感覚を取り戻すことが出来たのは、自分にとって大きな変化だったように思います。 家の周りでは宅地の造成が進んでいます。コナラの新緑、ヤマザクラのピンク、フジの紫色。森を切り拓いて造成された宅地越しに、4月の淡く美しい山の色彩を見ながら、どこかやるせない気持ちを感じていました。年齢を重ね、愛の対象がパートナーから子どもたち、庭の植木、森とそこに棲む生きものたちへと拡がっていくに連れ、心の痛むことも増してきます。愛とは胸の痛みなのかも知れません。けれども、この痛みの感覚もまた、自分に与えられた大切なものなのでしょう。この blog の中の写真で紹介したいくつかの生命たちも、今はこの土地から姿を消しています。いつか、我が家の隣りの森もなくなってしまうかも知れないけれど、星野道夫の言葉にもあるように、自然の終わりはいつも何かの始まり。きっとまたそこからスタートしていく何かがあるのでしょう。 ---- カモシカ 先日、家内が長女とともに生活圏内で車に乗っているときに、カモシカに出会ったそうです。この付近にはまだカモシカが棲息しているようです。人の生活があるすぐ隣りでカモシカが生活していることは、何かとても不思議なことのように思えます。
by kake24
| 2009-04-30 23:15
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